後悔からの解放

後悔からの解放

あなたは、
自分の過去に後悔はありますか?

 

私は4歳の時に自分の家を火事にしてしまい、
ずっと「取り返しのつかないことをしてしまった。やり直したい」と毎日思っていました。
しかも火事にしたことを誰にも言うことが出来ず、
まわりの友達が無邪気に笑って楽しそうにしているのを見ては
「私はみんなのようには笑えないな。誰にも言えない事を一生背負って生きていかないといけないんだ」
と絶望感さえ感じていました。

うわべは普通にしていましたが、心の中には重い塊がいつもありました。

毎日寝る前には
「今までのことが全部夢で、朝起きたら赤ちゃんだったらいいな。やり直したい。
そうしたら、絶対にいい子になる。」と思って寝て、
朝起きると夢ではなく現実だと知り、毎日がっかりしました。

私の中には、いつも後悔がありました。
あの時、あの瞬間、あんなことをしなければこんなにつらい現実はなく、普通の子供だったのに。
人生を台無しにしてしまった。なんであんなことをしてしまったのだろう。。。

小学生が、です。そんなことを考えていました。
心の奥深くにその思いを隠して、普通に生活していました。

b_simple_55_2L

そんな私は、不思議な導きで、
小学6年生からキリスト教会に行くようになりました。

教会ではやさしい先生たちが、
今まで受けたことのないような優しさで接してくださいました。

そして、信じれば救われるよ、赦されるよ、と聞き(もちろん自分のしたことを言ってはいませんでしたが。)
私はそこで長年絶望的だった自分の人生に希望を見出し、接する人たちの愛によって癒されて、
本当に「救われた」経験をしました。

何年も持っていた重荷を下ろせた気がしました。
目に映るものすべてが明るく輝いて、美しく見え、まさに生きる世界が変わりました。

神様から、「失っていた人生」を取り戻してもらった私は、
大きな喜びの中で「神様を伝える人になりたい。」と夢を抱くようになります。

そして神学校に行き、「将来は教会をやろう」と思っていました。
心から教会に仕え、勉強し卒業し、牧師の息子の旦那様と結婚しました。
結婚後は教会はやりませんでしたが、教会で様々な奉仕をしたりして熱心なクリスチャンでした。

b_simple_55_2L

しかし、だんだんキリスト教会や教義に疑問を持ち始め、矛盾を感じ、
とうとう自分の心をごまかすことが出来なくなってしまいました。

私は教会を離れる決心をしましたが、
自分が心から信じていたものを失った喪失感と、生きがいを感じる仕事を失ったこと、
そして自分が間違っているのではないかという不安、
お世話になった愛ある人やさらには神様までも裏切ってしまったという罪責感で、

とうとう、鬱(うつ)になってしまいました。

あの小学生だった時と同じく、外面では明るくポジティブな元気な人で過ごしていましたから、
誰も私が鬱(うつ)だとは気づきませんでした。
私は普通を装うことは得意だったのです。

でも、心の中は、
また後悔でいっぱいでした。

自分が救いを求めていたから「教会」の教えがピッタリはまってしまい、熱心になるあまり、
一種のマインドコントロール状態にまで自分を追い込んでいたんだ、と感じました。

キリスト教の教義の中でしか物事を考えられなくなり、
私の出来ることや私自身は、教会を離れたらなくなってしまったのです。

自分には何もない、何も出来ないと感じ、
情けなさと後悔でつぶされそうでした。

何よりも、自分がすべてを懸けて信じてきたものが「真実」ではない、
と思ってしまった私は、
今までの人生やこれからの人生をどう捉えていいか分からず葛藤でいっぱいでした。

息をするのもおっくうで、生きる喜びも失ってしまいました。
身体も思うように動かず、子供たちもいるのにご飯も作れない日も多くありました。

睡眠導入剤がないと寝られず、「息ってどうやってするんだっけ?」と思うほど自然に息が出来ないこともありました。
(でも薬を飲みながら、明るく楽しく普通の生活はしていました。)

b_simple_55_2L

みなさんは私の歩みを見て、どう感じますか?
私は、
「私の人生って何だろう??」って心底思っていました。

40年間を棒にふってしまったと後悔しました。

その間、もちろんたくさんの幸せと楽しかったことはありました。
かわいい子供たちに、優しい旦那様、パートの仕事にも出て趣味もありました。
はたから見れば、何も足りないことはない幸せな奥さんでした。

だけど心の深い部分の「本当の私」は、混乱し、
深く傷つき、生きる喜びも思考の自由もなく、生きてはいるものの、抜け殻状態でした。

それが約5年前のことです。

b_simple_55_2L

そこから私の人生は大きく変わっていきます。

『自分を信じて自分の気持ちに正直になろう』と決心しました。

そんな当たり前のことを、やっと決心しなければならない私でした。

小さい頃、自分のしてしまったことの罪悪感から教会に行き、
自分で物事を考え判断して決める、自由と責任を学ぶ大切な時期に、
教えられた教義や基準のなかでのみ考えてきました。

そこから離れて、
「自分の考え・自分の気持ちを認識することは容易ではありませんでした。

ひとつひとつ自分と向き合い、ヒーリング(※レイキの自己ヒーリング)をし、
カウンセリングを学び、本当の自分を見つけていきました。

そして自分に正直になり、自分を認める、という、
私にとっては「訓練」を続けることによって、
自分なりの「真理」を見つけてきました。

b_simple_55_2L

bloom

それは、

「失敗」や「罪」などない、ということです。

もしあるとするならば、
『修正すべき誤り』があるだけです。

「罪」という言葉の語源は
「的を外す」という意味です。

愛という意図から外れた状態が「罪」で、
その「罪」というものは
「裁かれるべき赦されないもの」ではなく、

『修正すべき誤り』です。

家を火事にしてしまったのは、
悔い改めるべき罪、ではなく、
「修正すればよい誤り」だったのです。

親に「ごめんなさい」と言って謝れば、
赦されて、長年罪悪感にさいなまれる必要もなく、
必要な償いをして次なる歩みに進めばいいのです。

 

「失敗」もあなたが「失敗」と思えば失敗であり、
そこから得たものを見つければ「学び」になるのです。
私たちには自由と責任があります。
私たちは自由に感じ、表現し、選択する権利があります。

あなたの感じること、それがあなたの真実であり、
それは否定されるべきものではありません。

あなたがどう感じるか、どうしたいかはあなたが選択していいし、
あなたの人生はあなたのものです。

もし「失敗」したと思うことがあっても
あなたは、その時その時で、精一杯選択をしているのです。

愛おしいあなたの選択を認めてあげましょう!

 

もし「良くなかった」と思うことがあれば、
そこから学び、必要なら償いをして、また新たにやればいいのです。

人は、いつからでも新しくなれます。
人生、どこからでも新しくスタートできます。

 

後悔するような苦い経験も、
やり直したくなるような現実も、

その一つ一つが、たくさんの気づきをもたらし、
今のあなたを創っています。
そして、今のあなたの「生き方・考え方」が未来のあなたを創っていきます。

「後悔」することなんて一つもありません。

私たちの成長の糧として、そこから学び、
美しい花を咲かせていきませんか。

今、私は宗教を信じていませんが、否定もしていません。

「真理」はいろいろな面があり、いろいろな表現があり、
一つの面だけが真理ではないからです。

宗教で救われる人がいるのも事実ですし、
宗教だけが救いだとも思っていません。

どのような考えを採用するかも、
その人が幸せに生きられる考えを採用したらいいと思います。

もしこの世に「真理」が一つだけだったとしても、
それが本当にわかるのは死んだ後です(笑)
それならば、「真理」を追究するより、
自分や人が幸せに生きられる考え方をして、成長していくほうがはるかに幸せです。

同じように、自分の人生の「正解」を追求するより、
自分の責任で、自由と創造力を発揮して「幸せな人生」を創っていくほうが幸せだと感じます。

事実、私たちは
自分で人生を創っていかれるのですから!

 

あなたは素晴らしいし、あなたの人生も素晴らしいです。

そしてこれから、
どんどんあなたの人生は輝いていきます!

過去を受け入れ、後悔を手放して、
愛と喜びのあふれるあなたの人生を創り上げていきましょう!

 

baraaikonあなたの理想を惹き寄せる「アファメーションメイクセッション」はこちら★<<<クリック

baraaikonあなたの本質が輝きだすやさしいハンドヒーリング「レイキ」はこちら★<<<クリック

baraaikon個人セッションもご希望に応じて開催しています。ご希望の場合はご連絡ください。

 

関連記事

おすすめ記事

ページ上部へ戻る